「のれん」と会計基準 ~会計情報の限界~
2015.08.07
夏の暑さが日に日に増してくる中、審査課の青山は経理課の木下を審査課の飲み会に誘った。
このところ青山と木下は日常的に会話があるが、審査課の他のメンバーとは挨拶程度の関係だったりもする。しかし先日、木下への相談から席に戻ってきた青山に、課長の中谷が「あんた、いつもお世話になっている木下君を誘いなさいよ」と声をかけてきた。
もとよりお酒好きでオープンな中谷の誘いを、その日の帰り際に木下に伝えたところ、木下はふたつ返事で快諾した。
その日、長電話につかまって遅れた木下が待っていた青山とともにのれんをくぐると、いつもの審査課の飲み会がすでに始まっていた。店はいつもの居酒屋、客人であろうと揃うまで待つような気遣いはない。
中谷が2杯目の中生で乾杯を済ませると、早速木下に声を掛けた。
「木下君、いつもうちの青山が相談に乗ってもらって、助かっているわ。出来が悪いから相手に困るでしょ」
まだ1杯目に口を付けたばかりの青山がしかめっ面を作るのを見ながら、木下が笑って答えた。
「とんでもない。青山さんから与信管理の現場の視点を学ぶことが多いですし、自分の知識が役立つ場面をもらっていて、私にはとてもいいやりとりになっています。自分でうまく説明できないことは、改めて調べてみたりしますし。中谷課長から何度かいただいた相談はとてもレベルが高くて、私の勉強にもなります」
「何ですか、二人とも・・・僕はアドバイザーとの橋渡しをして、切磋琢磨できる良い職場を作るのに一役買っているんですよ!」と、青山は早く酔いたいとばかりに一杯目を空けながら口を挟んだ。
「木下君は会計事務所出身じゃったな。中小企業は昔と比べてずいぶん大変になっただろうに、前の仕事はどうだったんじゃ?」と、会話の流れにはお構いなしに、老審査人の水田が木下に聞いている。
「私が担当していた会社には水田さんよりずっと年上の社長もいて、後継者問題とか、いろんな相談をもちかけられました。でも、バブル崩壊の苦境を乗り越えてきた会社も多くて、とても真似ができないようなノウハウとか、熟達技術者の凄みなんかを肌で感じることができました」
「面白そうね!経理の知識があって、いろんな会社も見てきた木下君は、重宝されたんじゃないの?」
中谷がいつの間に切り替えたのか、中身のグラスにホッピーを注ぎながら割り込んできた。いつぞやホッピーのメーカーの女性社長をテレビで見て以来、贔屓にしているらしい。
「ええ、お役に立てたと感じることもありました。ただ、会計情報の限界を思い知らされたことのほうが多かったかもしれません。まあ、このあたりは皆さんの方がプロでしょうけど・・・」
「そうですね。会社を作り上げているものって、さっきもお話したように、マンパワーとか独自のノウハウとか、貨幣価値に換算できないものが多いですよね」
「プライスレス・・・カード会社のコピーがありましたね」
「ブランド力とか、いわゆる定性的なものね」と中谷は青山の軽口を無視して続けた。
「そうですね。ブランド力も含めて会計上では『のれん』といわれるものがあります。会社が持つ超過収益力といえますね。自己創設のれんは会計上、認められていませんけどね」
「『のれん』って、聞いたことはありますけど、具体的にはどういうものですか?」と千葉が聞いた。
「概念が難しいかもしれませんが、まず『のれん』が会計上認識されるのは、連結会計や企業買収があった時です。例えば、純資産よりも多い金額で事業買収されたとき、その差額が会社が作り上げてきた無形の価値、ということになります」
「なるほど、その時に『のれん』が金額として把握されることになるんですね」と千葉がうなずいた横から、「じゃが、会計基準によってずいぶん扱いが違うんじゃなかったかの?」と水田が口を挟んだ。
「そうです。日本の会計基準では、『のれん』は償却して費用計上していくものですが、国際会計基準では原則として償却しないという考え方をとっています。『のれん』の性質に対して、見方が違うんですね」
「会計基準も、今は日本基準、IFRSと言われる国際会計基準、米国会計基準と3つがあるから、審査も新しく学んで行かなくちゃダメよね」と、飲みの席でも課長らしい中谷の発言に、青山が首をすくめた。
「そういう会計の多様性が認められている点も、会計情報のウィークポイントかもしれませんね。まあ、すべての企業に画一的な基準を強いるのも適切ではないのですが」
「木下さんが来ると、酒の席の話も広がりますね!私の橋渡しのおかげですね」と青山が得意げに言ったが、「まあ、口の悪いうちの課長は、今日はつきあってくれなかった秋庭君の穴埋めとか言っとったなあ」と老境・水田が空気を読まずに言うので、中谷の右手が派手な音を立てて水田の腕を叩いた。
会計情報の限界と「のれん」
一方で、会計情報の性質としての限界を念頭に置いておくことも大切でしょう。木下の話にもあったように、企業価値は貨幣価値で測定することが困難な多くの要素によっても形成されます。
例えば、知名度や信頼性から育ったブランド力、従業員のもつ技術力や育成過程にある有望な人材といった人的資源、築き上げてきたネットワークやノウハウ、こういったものは貨幣価値に置き換えにくい企業価値と言えます。
これらは企業の競争力の源泉であり、超過収益力とも呼ばれます。しかし、企業が独自にその価値を測定して資産計上することは認められていないため、原則的に貸借対照表の資産に計上されることはありません。例外的に、企業の事業買収といったケースにおいては純資産を上回る金額で評価されることがあり、この差額が「のれん」として認識されます。
また、連結会計においても、子会社との連結の過程で認識されます。しかし、いずれにおいても「のれん」の内訳を切り分けて認識することはできません。企業価値の見極めにはおいては、会計上で表れる企業価値とともに、こうした定性的な企業価値を見極めていくことが大切なのです。
3つの会計基準
仮に同一企業の同一期であっても、採用する会計基準が異なると、財務諸表上の科目名称や金額が変わることもあります。例えば、前述の「のれん」については無形の資産として計上された後、「日本基準」では価値が持続すると見込まれる20年以内の期間にわたって、規則的な償却を求められます。一方、「米国会計基準」や「IFRS」では原則的に償却しないものとされています。会計情報が形成される過程には、このような側面もあるということに注意が必要です。
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