人手不足と賞与引当金の話 ~コンサルテーション・イン・ザ・パーク~
2019.06.06
その日の昼休みも、経理課の木下は会社近くの公園で読書をしていた。あの日以来、審査課・青山のジョギング姿は見ていないので、どうやら「一日坊主」で終わったようだ。それはそれで残念だ、などと思いつつ電子書籍リーダーの画面をめくっていると、視界の隅でこちらに近づく人物がある。「ジョギング再開か?」と視線を上げると、ジャケットを肩にかけた颯爽とした姿のベテラン営業マン・八木田だった。
「ハロー、ミスター・木下。青山さんにきいたら、ここにいるだろうと教えられて・・・なんだか久しぶりですね!」
「そうですね。八木田さんのご活躍は石崎さんや谷田さんから、ちょくちょく耳にしていますよ」
「いやはや、恥ずかしいですな。それにしても、後輩たちの相談に乗ってもらって助かっていますよ。今度、若手も集めて、ミスター・木下へのスペシャル・サンクス・パーティーをやりますか!」
「お気持ちはありがたいですが、普通の飲み会として参加させていただくだけで十分ですよ」
「いえいえ、飲み会もテーマを設けるとモチベーションがアップするんですよ。気持ち、フィーリングです」
「なるほど・・・、八木田さんが言うと説得力がありますね。今日は、そのお誘いですか?」
「それもあるんですが、今日のトピックは従業員のモチベーション・アップですよ。最近、カスタマーから人材が定着しなくて困る、といった類いの話をよく耳にしましてね。ミスター・木下が会計事務所時代にいろんなコンサルをしたことがあると聞いたような気がしたので、何かネタがあるかと思って・・・」
「それはそれは・・・また難題ですねぇ。確かに相談は幾度となく受けましたが・・・」
「最近は業界問わずマンパワー不足ですから、どの得意先に行ってもこの話題はホットです」
「就職が売り手市場のなかで、いかに人材を獲得・確保するかについては、正直、企業の個別事情もありますから、市販の特効薬のようなものは期待できませんね」
「メソッドも様々。はたまた、個別には会社のコーポレート・カルチャーが合わなかったといったケースもあるでしょうが、ミスター・木下が相談に対応した実例があればヒアリングさせてください」
「専門家ではないので偉そうなことはいえませんが・・・、前職では社員の拘束時間と報酬のバランス・チェックなど、まずは社長に量的・客観的なデータを集めてもらい、会社の現状をしっかり把握してもらいました。その上で、自分が社員だった頃を思い出して比べてもらったり、仮に新入社員だとしたら自社のどこに魅力を感じるか考えてもらったりして、手当の制度を再検討してもらったことがあります」
「それは経営者にはシリアスですな。ボーナスを倍欲しい、とかいわれても、簡単にはできないでしょう」
「そうですね。決算賞与を検討してもらったことがありますが、中堅企業あたりになってくると6月と12月の定期賞与として予算化して引当計上しているケースが一般的ですからね」
「おっと、その会計処理、軽くレクチャーしてもらっていいですか?賞与の引当とは?」
「ヤーヤー(Yeah,Yeah)。半年分のボーナスは半年の仕事に対応している、ということですな。つまり、決算時点で経過分を考慮する必要がありますな!」
「そういうことです。3月決算の会社で6月と12月に賞与支給している例なら、6月分は12月から5月までの期間に対応しますので、3月決算時点に4カ月分を引当計上することになります」
「ア~イガッティッ(I got it)!でも、ボーナスやサラリーのアップも、そう易々とできるものではありませんな」
「そうですね。ただ、人件費は役員報酬、賃金・給料手当、雑給、賞与のほかに法定福利費、福利厚生費や退職給付費用といったものまで含みます。さらに広げれば人材募集費や教育研修費も当てはまるでしょう」
「仕事をしながらスキルアップを手助けする。資格取得時の報奨金や、研修に力を入れるというのも一案ですが、これらもポピュラーな手法にして実行はディフィカルトってやつですな」
「研修で思い出しましたよ。前職のクライアントで自社の決算状況を従業員にしっかり理解してもらうために説明会をしてほしい、という依頼を受けたことがあります。どの会社にもできることではないと思いますけどね」
「Oh!それはまたエポック・メイキングな取り組みですな!レアにしてパラダイム・シフト?そのオファーをした社長の狙いは何だったんでしょう?」と、興が乗るほどカタカナが増える八木田が身を乗り出した。
「その社長は目的が3つあると言っていました。ひとつは、儲ける大変さを知ってほしいということ。2つめは利益がしっかり出れば自分たちの報酬アップにつながる、という実感をもってほしいということ、そして3つめは団結や仲間意識の醸成につなげたい、と社長は考えていたようです」
「数字は自分たちで作る!まさにマーベラス!」
「決算を社員に開示している会社は珍しくないでしょうけど、会計顧問を交えた説明会を開催する会社は希と言えます。ただ、その社長はかなり個性的というか、気分屋というか・・・従業員の定着率は良かったものの、結局その説明会が行われたのは1回だけでした。私が継続を薦めればよかったかもしれません」
「そうかもしれませんが、その会社はトップのキャラクターが社員にとって魅力だったのかもしれませんな!決算内容が良い会社の社長がひとり思い浮かんだので、さっそくスケール・アウトしてみます」
「スケール・アウト、というのは何でしたっけ・・・」
「私は横展開という意味で使っています。サンキュウ、ミスター。では早速行ってきます。バ~イ!」
その営業マインドとカタカナ博識に圧倒された木下が時計を見ると、すでに13時を回っている。「営業部の相談に乗っていたことにしようか・・・」と言い訳を考えながら、木下は公園をラン・アウトしたのだった。この場面に合うBGMはもちろん、シカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク」だが、その日はまだ水曜日であった。