初回取引とホームページ ~個人的な取引審査~
2017.12.19
その日の昼休み、昼食から早めに帰ってきた青山が、自席でスマホを覗きながら唸っている。
「ずいぶん熱心な調べ物だな。何を調べているんだい?」
前の席でパソコン雑誌を閉じながら、IT系の秋庭が声をかけた。
「少年野球チームで合宿に行くことになったんですが、僕がバスを手配することになったんですよ」
下町育ちの青山は、週末に小学生の軟式野球チームの練習を手伝っている。小学生の頃に自分も所属していたチームで、卒部してからはしばらく関わりがなかったが、就職した翌年、チームのコーチになっていた同級生に手伝いを頼まれ、以来、週末の練習に顔を出すようになった。最初は日頃の運動不足解消を兼ねていたのだが、子供たちとの関係ができるにつれて、一昨年から合宿まで一緒に行くようになったのだ。
先週の土曜日のコーチとお母さんたちによる合宿の打ち合わせで、2時間も話してようやく宿が決まったが、バスの話になると、とくに知り合いの業者もなさそうな雰囲気の中、早く切り上げて飲みに行きたい先輩コーチが、「いつも取引先を調べている青山なら、業者選びがうまいよな。よろしく」と、青山の肩を叩いたのだった。
「大手の業者に頼めばいいじゃないか」と気安く言う秋庭に、青山が事情を説明した。
「それが、宿が高いので、バスの予算があまりないんですよ。さっきネットで安い業者を見つけたんですけど、小さな会社みたいだし、大丈夫かちょっと心配で・・・」
「ホームページ?ちょっとパソコンで開いてよ」と、気がつくと課長の中谷が後ろから覗き込んでいる。会社のパソコンでホームページを開くと、午睡していた隣のベテラン・水田まで青山のパソコンを覗き込んだ。
「どれどれ、あまり商売っ気はない感じじゃが、実体はちゃんとありそうじゃな」
「そうですね。創業昭和54年・・・社長は同族の2代目。設備もちゃんと載っているし・・・」
「そんなことまでわかったんですか?」と、青山が中谷を振り返った。
「だって、空木観光の空木社長でしょ、社長の写真が若いでしょ。イケメンじゃないけど、誠実そうだわ」
「事故歴とかは調べたんかな?貸切バスは最近事故もあるからの」
「一応社名検索で調べてみましたが、該当する記事はヒットしませんでした」
昼休みもそろそろ終わろうと言うのに、目的が何であろうと、会社を調べるとなると関心を持ってしまうのが審査課の性である。
「そうじゃな。対応がしっかりしておれば、大丈夫じゃろう。追加料金とか付帯料金がないか、よく確認するんじゃぞ」と、水田が孫の世話でもするかのようにアドバイスを送った。
お墨付きをもらって安心した青山が、仕事が終わってから電話をしてみよう、と午後の審査の資料を取り出そうとすると、水田と中谷がまだじっと青山を見ている。「え?」
「今、電話してみたらいいじゃないの。ダメだったらまた探さなきゃいけないでしょ?」
「だって、もうすぐ昼休みも終わりますよ。いいんですか?」
「それくらい、いいわよ。だって、気になるじゃない」
青山を心配してくれているのか、自分たちの目利きの成否を見極めたいだけなのか、よくわからないが、ともかく上司がいいと言うのだからと、青山がパソコンのホームページを見ながら会社の電話の受話器を持つと、「スマホから掛ければいいでしょ」と中谷が言った。(そこはダメなのか。よくわからないな・・・)
呼び出し音が鳴る間、隣の水田と背後の中谷が、まるで誘拐犯の電話を聞く刑事のように、様子を見ている。
年配らしき女性の受付が出てきて、青山の用件を聞くと、すぐに概算を見積もってくれた。ホームページからだいたい想像していたとおりの値段が出てきた。大手業者に比べて3割以上安い。
「ちょっと待っていただけますか?」と、電話を保留にした青山は、水田と中谷の方を向いた。
「対応もしっかりしてそうですし、値段もいいので、決めようと思います」
「そうか、それは良かった」と水田は安心したようにうなずいたが、中谷が注文を付けた。
「ちょっと待った。代金の支払いはどうするの?」
「5日前までに振り込んでほしいと言われています」
「最初の取引だから、当日の現金渡しでいいか、お願いしてみなさい」
(せっかくいい感じで対応してもらっていたのに、言いづらいことを言わせるなあ・・・)
そう思いながら、青山は言われたとおりの注文を相手に伝え、了解を得て、電話を切った。
「言ってみるものでしょ。初回取引は与信リスクを最小限に。審査の基本よ」
少々ご満悦な雰囲気で自席に戻る中谷の背中を見ながら、青山が水田に小声で言った。
「うちって信用がないんですねって、電話口の相手に失笑されましたよ!」
水田が黄門様のようにカッカッカと笑うと、ようやく審査課一同の午後の仕事が始まったのだった。