直接・間接貿易 ~大虎青山、口で身を食む~
2018.11.01
審査課の青山は、少々グロッキーな顔で始業の準備をしていた。前日参加した若手懇親会で深酒をしたからだ。普段はマジメな青山には珍しく、昨晩の記憶が途中からなくなっている。
昨晩交換した名刺を整理していると、「青山、大丈夫か?」と頭へチョップをしてきた人物がいる。昨晩一緒に懇親会に出ていた同期で経理課の阿佐見だ。
「昨日の若手懇親会、楽しかったな!あらら、青山もずいぶん名刺交換したんだね」
机の上に散らばった名刺を見ながら阿佐見が言ったが、青山は何人と名刺を交換したか覚えていない。
「あっ、女性のもある!なんだぁ。青山もそういう場ではグイグイ行けるんだな!」
「七瀬なぎさ」と書かれた名刺を阿佐見がつまみあげ、ゆらゆらさせた。二日酔いで頭の中に霞がかかった青山だが、その人だけは鮮明に覚えていた。ユニバーサル貿易の元気な女性だ。ちょうどそのとき、パソコンに画面にメール通知のポップアップが出てきた。開くと、七瀬からのメールである。阿佐見が覗き込んだ。
「名刺の人じゃないか!ウッドワーク青山様。平素より大変お世話になっております。昨日は私が至らないばかりにご迷惑をおかけ致しました、うんぬんかんぬん。妙にかしこまっているけど、お詫びのメールか?」
「おいおい、勝手に読むなよ。でもまあ、なんだ、お詫びされるようなことされた記憶がないな」
「そりゃまずいな。あれ?今日の12時にうちのロビーに来る、と書いてあるぞ」
「えっ、うちに来るの?どこかの部署で絡んでいるのかな。阿佐見は来るなよ!」
「あっ、青山くん!こんにちは!昨日大変なことになっていたけど、大丈夫だった?」
「もう、とんでもなかったですよ。記憶ないですもん!」と、ややおぼつかない感じで青山が答えた。
「えっ!ありえな~い!やっぱり飲みすぎだったのね。じゃあ、記憶もない青山くんに見せてもダメかなあ」
そう言って七瀬のバッグから取りだされた書類を受け取った青山の頭上には「?」が見える。
「これが船積書類のひとつ、船荷証券だよ!サンプルだけどね」
「思い出した!そんな話をしましたね。へえ、これですか。英語だ!でも、なぜ持ってきてくれたんですか?」
「あー、やっぱり覚えていないのかあ。懇親会の終盤、青山くんが泣きながら『僕に実務を教えてくだしゃあい』って言ってたでしょ?だから、明日教えに行くって約束で、話をつけたの」
穴があったら入りたいとはこういうことで、何も覚えてない青山はその場で固まった。
「覚えてない?約束は約束だし、今日この近くまで来る予定があったから、寄ってみたんだけど」
昼休みでロビーは人の往来が激しく、青山は近くにあった来客用のソファへ七瀬を案内した。
「船荷証券というのは船積書類の一種で、船会社が船積地点で貨物を受け取ったことと、指定の目的地までの運送及びその荷揚げ港で貨物受取人に貨物を引き渡すことを約束した有価証券のことです」
ソファに座るなり、七瀬が早々にレクチャーを始めた。話し方がレクチャー・モードに切り替わって、ついさっき「ありえな~い」と言っていた人とは思えない。
「貨物の引渡証ってことですか。それにしても、これって有価証券なんですね」
「そうですよ。だから貨物相当額の現金と同様の価値があると言ってもいいんです。流通性があるのがポイントです。輸出者が振り出した荷為替手形を銀行が買い取るのは、手形に添付されたこの船荷証券が担保として意味を持っているからなんです」
「流通性と担保?」と、青山がキレのない質問をぶつけた。夕方になっても霞が晴れないようだ。
「船荷証券は手形と共に銀行を経由して最後は輸入者へ行きますが、保有者が替わる度に貨物引渡請求権も移転しないと、最悪の場合はその商品を換金できなくなります。それじゃあ担保として意味がないですよね。このように船荷証券に所有者を次々に変えられる流通性があるからこそ、担保として銀行が買い取りに応じられるわけなんです」
青山がほぉ、と感心していると、七瀬は「そろそろ回収しま~す」とサンプルをとりあげ、バッグにしまった。
「ところで、七瀬さんは普段からこういう書類を扱っているわけですよね。同じ商社でも僕の審査業務は貿易とあまり縁がないのですが、一般企業の貿易と商社を介した貿易って違うものなのですか?」
「それを話すなら、貿易に関する商社の役割を知っていないといけません。商社は海外のあちこちに拠点があるため、外国の商品知識、市場調査、流通事情に精通しています。そうすると例えば、輸入だったら輸入品の品質や納期、価格に有利に交渉できることが多いんです。トラブルが発生した場合にも、ノウハウの蓄積によって解決に向けた手続きをスムーズに行えます」
「中抜きなんて言いますけど、そう聞くと、改めて商社の力ってすごいですね」
「一長一短の部分もあります。一般企業が商社等を介する間接貿易に対して、自分自身で海外と取引する直接貿易なら商社に払う手数料はかかりませんし、自由度が高いので取引の幅も広がります」
青山がフムフムとうなずくと、七瀬のレクチャー・モードが切れたようだ。
「じゃあ、同業者としてこれからもがんばっていこうね!用事があるので、これで失礼します!」
立ち上がる七瀬を見ながら、青山はずっと感じていた違和感を口に出した。
「あの…今日七瀬さんがちょこちょこフレンドリーな言葉になる理由は、やはり昨日が原因なんでしょうか?」
「あっ、わかってくれた?昨日の青山くんとっても変で面白かったの。『俺と七瀬は初対面だが心の友だよな!』って言い始めるんだもん!これからも情報交換よろしくお願いしますね!」
青山は顔を真っ赤にしながら、記憶にない自らの行状を詫び、それを見て七瀬は楽しそうに笑った。