配当金と準備金の積み立て ~木下の配当と青山の蓄積~
2019.02.07
ある昼休み、リフレッシュコーナーで経理課の木下が珍しくカップ麺をすすっていた。しかもそのカップ麺は大手スーパーマーケットのプライベートブランド品である。簡素なパッケージ、少ないかやく・・・紅茶好きの優雅なイメージの「木下的日常」からは明らかに外れている。
「どうしたんですか、木下さん!競馬に負けたんですか!」
同じようにリフレッシュコーナーで昼食を取ろうとした審査課の青山が、入ってくるなりびっくりして声をかけた。その青山は大盛りカップ麺、海苔弁当、ビタミン豊富なゼリー飲料と、こちらは「青山的日常」そのものである。
「やめてくださいよ。私に博才がないのはご存じでしょう。そもそも手を出しませんし・・・」
「では新手のダイエットですか?珍しいですね」
「いいえ。ダイエットではなく、年末のお歳暮に、年明けには親戚の子どもたちへのお年玉、両親を温泉旅行に連れて行ったり、家賃の更新料を払ったりと、大きめの出費が続いてしまい、節約モードにしてみたのです」
「家計簿を複式簿記で記帳していそうな木下さんらしくないですね。出費が多かったとは言え、予め想定された出費だったのでしょう?」
「そうなんですけどね。しかし、これらを交際費と言ってしまうのは淡泊すぎます。イメージ的には張り切って配当をしすぎた、と言えば伝わるでしょうか」
「配当・・・おっと、思い出しました。この前、株主資本等変動計算書をしげしげと見ていたら、配当金と一緒に少額の積立がセットで計上されていることに気が付きました。これも何かのルールに基づくものですよね?」
青山が唐突に自分の聞きたい話題に変えたが、会計の話となれば脈絡を問わず即応するのが木下である。
「会社法および会社計算規則に定められている決まりです。剰余金の配当を行う場合、配当金支出額の1/10を資本金の1/4に達するまで、資本準備金か利益準備金として積み立てることになっています」
「そうでした。決算書を勉強し始めた頃に本で読んだのを思い出しました。債権者保護のためでしたね」
「そのとおり。経営者の好き勝手に配当されて会社のお金がなくなったら、債権者が不安になりますし、実害を被るかもしれませんから。資本充実の観点からも、準備金積み立ての考え方は大切です」
「積み立て先の資本準備金と利益準備金の違いは何でしたっけ?そのあたりはあやふやです」
「配当原資によって使い分けられます。その他資本剰余金から配当されれば資本準備金に、その他利益剰余金から配当されれば利益準備金に積み立てられるのです。ただ、配当原資は稼いだお金がはじめに累積される繰越利益剰余金、つまり、その他利益剰余金となることが多いでしょうね」
「なるほど。ちょっと頭がこんがらがっていましたが、すっきりしました」
「私も家計でキープすべき分についてルールを作っておくべきでした」と木下が苦笑いし、話が戻りかけた。
青山は目と耳は木下に向いているが、手元では箸が絶え間なく動き、口との間を往復している。
「確かにこのルールは実質的には借入があって、株主も多い、規模の大きな会社を想定していると思われます。配当による株主還元に力を入れるのは上場企業や大企業の子会社が中心でしょうから、逆に資本金が少額の会社では配当の抑制はあまり問題にならないとも言えます。実際に前職の会計事務所では、クライアントの多くが同族会社の中小企業でしたので、配当自体がそんなにありませんでした。青山さんは、与信のシーンで配当金は気にしていますか?」
「審査実務でも配当の有無は一応チェックしていますよ。継続的に配当金を払っているということは、それだけ会社に稼ぐ力や配当原資がしっかりある、ということですからね。上場企業であれば収益力の安定性を市場参加者にアピールできますし、長期保有を前提に配当を重視する個人投資家も多いはずです。株主還元という点では株主優待もありますよね。見方によっては、一種の配当と言えそうですよね」
「割引券とか限定グッズとか、いろいろありますよね。ちなみに、配当性向は知っていますか?」
「知っています。配当金を利益で割るんですよね。配当性向を目標に掲げる上場企業もありますね」
「総還元100%の施策を行った会社が一時期話題になりました。投資家としては判断が難しいでしょうね。一時的には嬉しいかもしれませんが、もっと投資にお金を回して利益拡大を望む人もいるでしょうから・・・。ちなみに配当を株価で割れば配当利回りになります」
「そのあたりは投資家目線の指標で、審査実務ではあまり縁がありません。ただ、成長性を占うにはヒントになるかもしれませんね」
「もう少し広い視野で見ると、資本コストにつながります。おっと、資本コストといえば、年始に話した将来キャッシュフローを割引計算するDCF法につながりますよ」
「あれ、配当の話がずいぶん広がってきましたね。元々は何の話でしたっけ?」
青山がそう聞くと、木下が思い出したようにテーブルに目をやり、少し悲しそうな顔をした。
「この話ですよ。ああ、青山さんに説明しているうちに、麺が伸びてしまいました。麺類を食べるときは、会計の話は禁止にしないとだめですね」
「それは申し訳なかったです。ただ木下さん、今日の昼は少額投資でしたから、高級カップ麺に投資した場合と比べれば、損失も少なかったと考えてください」
「青山さんは高額投資でしたが、話をしながらちゃんと食べ終わって、損失がなかったわけですか」
「ええ、損失は出ませんでしたが・・・ん??この場合、利益はなんだろう?」
「青山さん、お腹を見た方がよいですよ。脂肪にして溜めるくらいなら私に配当してくださいよ」
今度は青山が悲しそうな顔をして、木下がハッハッハと笑い、その日のランチは終わったのだった。