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2019.05.31

~SUPPORTERS スポーツを支える企業~

南国の地で“日本のアイスホッケー”を支える香川アイスフェローズ(香川県高松市)


防具を身にまとった選手たちが激しくぶつかり合い、“氷上の格闘技”と例えられ、スピーディーな試合展開が特徴のアイスホッケー。日本では北海道、東北、北関東など、冬の気候が厳しい地域で盛んなスポーツと捉えられているが、瀬戸内の温暖な土地に全国有数の強豪クラブチームがある。そのチームの歴史と今をレポートする。(帝国データバンク 高松支店、広島支店情報部)

南国アイスホッケーチームのルーツ

1915年(大正4年)に平沼亮三氏がアイスホッケーの防具を初めて輸入して、数名でプレーをしたことが日本アイスホッケーの起源とされる。23年に北海道帝国大学(現・北海道大学)の本科と予科との間で行われた試合が記録に残る国内最初の試合といわれ、25年には第1回学生氷上選手権大会が開催され、学生を中心に競技人口が増えはじめた。30年には国際アイスホッケー連盟へ加盟、当時の強豪チームであった満州医科大学が世界選手権大会へ出場し、国際舞台での挑戦が始まった(日本アイスホッケー連盟資料より)。
当時、満州医科大学でプレーしていたのが香川県高松市出身の柘植五郎氏。戦後、家業の病院を継ぐ傍ら、香川県でのアイスホッケーの普及活動に積極的に取り組む。75年から10年にわたって日本アイスホッケー連盟の理事を務めた同氏は、週末ごとに繁華街や完成したてのスケートリンクに 出向いては、体格のいい若者たちに「アイスホッケーをしないか?」と積極的に声をかけ、その魅力を説いて回り、選手を集めるところから活動をスタートした。当時のスポーツは野球の人気が高く、知名度の低い中での苦労はあったようだが、ほどなく試合ができる程度の人数が集まり、本拠地となる高松国際ホテル(当時)が運営するスケートリンクの施設名にちなんで、「高松国際アイスホッケークラブ」が66年に誕生した。

監督自らがスポンサー・資金集めに奔走

多忙な病院経営に加え、全くアイスホッケーの経験のない青年・少年たちに対する熱心な指導を続けるなかで、遠征費などのチーム運営資金を捻出することが大きな課題であった。練習試合をするにも対戦相手は遠方にしかなく、防具、スケートリンクの使用料など、アイスホッケーは金のかかるスポーツ。柘植氏は、時間を見つけては選手とともに、知己の医療関係者や地元企業を訪ね、スポンサー協力のお願いに回る。「当時は、たいして強くもなく、知名度もないチームに対して資金を提供する企業は少なく、相当の苦労があったと思う」(当時の選手)状況の中、69年に冬季国体成年の部に初出場、71年には初のベスト8に進出するなど、着実に力をつけ、ようやくクラブチームとしての基盤が出来上がった。その後もチームは冬季国体への出場を続け、西日本では「敵なし」のレベルに成長した。

チームの選手補強と地域貢献を結びつける

70年代から80年代の日本アイスホッケー界は、冬季オリンピック出場や、王子製紙、西武鉄道、国土計画、雪印(岩倉組)、古河電工、日本製紙(十條製紙)の6チームによる日本リーグがテレビで中継されるなど幅広い層の高い関心を集めていたが、90年代に入って状況が一変する。
景気の低迷による業績悪化などを理由にクラブチームの廃部が相次ぎ、6チームから4チームに減少してしまう。北海道などの高校、後に進学した関東方面の大学を卒業する前途有望なプレーヤーたちにとってクラブチームが減少することは就職先が狭まることにもつながった。
この時救世主となったのが、全国有数のマンションデベロッパーであった穴吹工務店(高松市)である。新たに拠点を移すとともに2000年にチーム名を「サーパス穴吹アイスホッケークラブ」に変更、自社およびグループ会社で新卒者を積極的に採用した。2004年に全日本選手権で初のベスト8入りを果たし、2005年に開幕したJアイス・ウエスト・リーグ(現・Jアイス・ウエスト・ディビジョン)で初代チャンピオンの座につき、冬季国体でも準決勝まで進むことが多くなり、選手層の厚みは増していた。
ところが、2008年に穴吹工務店がリーマン・ショックのあおりを受けて業績が大幅に悪化。当クラブへの支援が難しくなり、チームは核となるスポンサーを失うという試練に立たされると同時に、一部の選手がチームを離れる事態となった。

さらに地域に根ざした存在になるために

厳しいクラブ運営環境が予想されるなか、2009年8月にチーム名を現在の「香川アイスフェローズ」に変更して新たな一歩を踏み出すこととなった。
スタッフ・選手は香川県内の企業に勤務しながら社会人クラブとしての活動を継続するかたちに変わりはなく、「仕事を最優先しながら日本一を目指すクラブチームと香川県での生活が気に入り、両親を含めた家族を呼び寄せた主力選手もいる」(安岡章夫代表)。チームのレベルが極端に低下することはなかったが、資金的な余裕を失ったため、地域密着型のクラブチームとして官民問わず地域のサポートを受けながら、地域に貢献する様々な取り組みを実践することとなった。
まず、大口スポンサーに依存せず幅広く企業、個人から支援を募るチームのサポーターズクラブ「フェローズクラブ」を立ち上げた。初年度には企業・団体約50社、個人約200名の会員を確保し、その後も順調に会員数を増やし、2018年12月現在の会員数は、企業・団体72社、個人646名となっている。次に取り組んだことは、会員向けばかりでなく、地域住民・県民に幅広くアイスホッケーの魅力を知ってもらう、体験してもらう様々なイベント・試合の演出である。
アイスフェローズは、全国6エリアで展開する地域リーグ「Jアイス・ウエスト・ディビジョン」のホームゲームでは、地元のシンガーソングライターによる国歌斉唱に始まり、ケーブルテレビでの放映、会場内で臨場感あふれる実況や初心者にもわかりやすいルールの説明・解説を聞くことができるFMラジオ放送、応援フェイスペイントのサービスなど、試合の雰囲気を盛り上げる演出を行っている。会場では地元商店街が中心となって飲食できるブース・屋台を開設するほか、来場者が楽しめるイベントや記念グッズの配布・販売も行っている。地域貢献活動としては、定期的な初心者向けのスケート教室やアイスホッケー競技を体験できるイベントを地域の小学校や高松市中心部などで開催し、地域スポーツの輪を拡げる活動にも積極的に取り組んでいる。

日本一のタイトル獲得、さらなる高みへ

香川アイスフェローズは、Jアイス・ウエスト・ディビジョンが開幕した2005-2006シーズン以降、13シーズン連続で優勝している。2012-2013シーズンから始まった6エリアの優勝チームで争うプレーオフでも初年度は準優勝した。その後は3位止まりの結果となっていたが昨シーズン(2017-2018シーズン)優勝を果たし、念願であった日本一のタイトルを獲得した。この勢いに乗って、2018-2019シーズンでは、Jアイス・プレーオフ連覇のみならず、日本アイスホッケー連盟会長杯での優勝を目指す。
1人の男性の活動から始まった南国生まれのアイスホッケーチームは、紆余曲折を経て50年以上の歴史を刻んできた。「将来の日本代表選手を輩出できる素地・環境はできあがりつつある。日本アイスホッケー界を西からもさらに盛り上げていきたい」と代表の安岡章夫氏は熱く語る。地域との密着度をさらに高め、アイスホッケーを通じて地域経済の活性化の一翼を担うという大きな役割が今後も期待される。


香川アイスフェローズ
■本拠地 トレスタ白山アイスアリーナ
■事務局 株式会社K・I・Eコーポレーション
■代表 安岡 章夫氏
■監督 北側 雄哉氏
■選手・スタッフ 33名
http://kagawa-icefellows.com/


※本コラムは、弊社が発刊する帝国ニュースに掲載したものを再掲しました

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