直物外国為替相場の話 ~お騒がせなエアメール~
2019.07.18
「青山、エアメールだぞ。メールセンターの人が珍しそうにしていたから、わざわざ持ってきてやったぞ!」
経理課の同期・阿佐見が騒々しくやってきて、カウンター越しの青山の机に封筒をポンと投げてよこした。「エアメール?間違いじゃないか?」と青山が不審げな顔をして封筒を手にすると、阿佐見がまくしたてた。
「しかもラブレターじゃないか!SNS全盛の時代に、しかも会社の住所を使って交際とは!」
「そんなわけないだろ!」と、青山が封筒の左上にある差出人を見ると、そこには「Nagisa Nanase」とある。
「ほら、これって例のあの女性だろ?」たまたま他の審査課員が出払っているとはいえ、興奮気味にまくし立てる阿佐見を青山は手で制した。
「そうだ。今度若手でのみにいこう!頼むぞ」と、なおも興奮冷めやらぬ阿佐見を「はいはい、わかった、わかった」と追い返し、そのまま青山はその封筒を手に誰もいない会議スペースへと入っていった。
封筒は普通だが、封を開けるとポップな便せんが出てきた。くだけた丸文字だが、丁寧で読みやすい。
「こんな手紙でびっくりした?青山くんのことだから、まわりの人にいじられてると思うけど(笑)」
(そう思うなら、こんなもの送りつけるなよ・・・)と青山はつぶやいたが、その顔が少しにやけている。
「このところ連絡をしなかったのは、私が面白いところにいるからです。どこでしょう?答えは次のページ!」
促されて便せんの2枚目を見ると、上半分のスペースに写真が貼ってある。七瀬がマーライオン前の写真スポットで、満面の笑みでピースをしている。それを見た青山はひとりで笑ってしまった。
「答えはシンガポールでした!いいでしょ?もちろんビジネスです。繰り返します、これはビジネスだよ!」
(ピースサインでビジネスか?)とひとりでツッコミながら、青山は読み進めた。
(何もエアメールでレクチャーしなくても・・・)と思いながら、青山は「外国為替相場」について考えてみた。
「外国為替相場といえば、新聞やテレビで1ドル何円、というのは知っているぞ。異なる通貨間の交換比率のことだよな。通貨の需給関係で価格が決定され、円の価値高まると円高、下がると円安となる。これぐらいは社会人の常識だろう・・・」とひとりつぶやきながら、目線を手元に戻して手紙の続きを読み進めた。
「実は、新聞等でとりあげられているレートだけが為替相場ではなくて、私たちのような貿易関係者は複数のレートを使って取引をしています。まず、よくご存じの新聞等のレートは”インターバンク・レート”と呼んでいます。銀行と為替ブローカーとのネットワークを“インターバンク”と言って、そこで決定したレートを取り上げているわけ」
(文章がやたらと口語調なのがとても気になるが、インターバンクは初耳だ。複数のレートとは???)
「複数というのは、銀行が私たち顧客に外貨を売る際に手数料やリスク料を上乗せするから、複数になるのです。一番わかりやすいのは“両替”です。海外旅行のときなんかに両替をするけど、「行き」に外貨へ替えるときと「帰り」に円に戻すときのレートって、全然違うよね。今回の旅行はあまり買い物をしなかったのに、円に戻したら出発前よりだいぶ少なくなっていて、ありえない!って思ったこと、ないかな?」
(・・・確かに、卒業旅行で韓国に行った時、ブランドものとか何も買わずに外貨を余して帰国したことあったな。そのとき出国時のレートと何円も乖離があるから、損しないようにそのままとっておいたほうがいいって、一緒にいた友人が言っていた。円から外貨、外貨から円でレートが違うから、そういうことが起きていたわけか)
「相場は銀行の立場で見ると、わかりやすいの。銀行が顧客に外貨を売ることを”売相場”といい、反対を”買相場”といいます。両替の場合、銀行が外貨の現金を用意しなければいけないから、その分の手数料として、インターバンク・レートに一番高い手数料を上乗せしています。現金の輸送を伴わない電信取引等は売相場ならTTS、買相場ならTTBというレートを使い、一番安い手数料で換金できます。例えば、インターバンク・レートが1ドル100円で、電信のときの手数料が1円だとしたら、1ドルを100+1=101円とします。逆に買相場なら、手数料分を引いて顧客へ返せばいいから、1ドルを100-1=99円にします。」
(銀行は売相場では顧客から日本円を多くとって、買相場では日本円を少なく払う。これで電信取引に使うレートが2種類できるわけだ。たぶん、TTSのSはSell、TTBのBはBuy、だな。そうやって覚えよう・・・)
「じゃあ、信用状が付いている一覧払輸入手形決済のときはどうなるかな?決済では最終的には電信でお金が移動するので、さっきのTTSやTTBの手数料はかかってくる。加えて、資金が回収されるまでの間、銀行が立替払いを行い、この間の立替金利も上乗せされます。これを“メール期間金利”と呼びます」
(銀行が立替をしているときはお金を貸しているのと一緒だから、その利息が発生するのか、なるほど)
「ちなみに、信用状のない一覧払輸出手形を銀行が買い取るケースでは、TTBとメール期間金利に加えて、リスク料に相当する手数料が上乗せされます。
(リスク料まで上乗せとは、銀行はずいぶん手数料をとるんだな。ところで、何のリスクだ?)
「信用状がないと支払確約がないことになるから、買取銀行は不渡りのリスクを抱えることになります。そのリスクがリスク料として手数料化されているわけ。手数料を設定するのは銀行なので、そういうことになるの。」
(複数のレートで貿易取引が行われていることがわかったけど、複数のレートというより、インターバンク・レートを基準に決済方法によって銀行が手数料を変えているだけ、ということなんだな・・・)
「だいぶ書いちゃったね。国際郵便って高いから、重たくなるとまずい!今回は直物相場をやったけど先物相場っていうのもあるの。帰国したらその話のついでに飲みましょー!セッティングよろしくね!」
(阿佐見の希望に従うのは不本意だが、相手がそのつもりなら、セッティングしてもいいかな・・・)
席に戻ろうと会議スペースの出口へと青山が振り返ると、ガラス扉に張り付くようにこちらを覗く課長の中谷が視界に入り、青山にはその顔はシンガポールのマーライオンに見えた。
「Oh!my goodness!」・・・それは、青山が人生で発した、もっともナチュラルな英語であった。