新型コロナウイルスと与信管理
2020.04.21
新型コロナウイルスの影響は、当然ながら青山のいるウッドワーク社の審査課にも及んでいた。全社の動きとして在宅勤務が導入され、審査課も輪番出社のシフトが組まれた。課長の中谷にベテランの水田、中堅の秋庭、若手の青山、優秀なアシスタント・千葉の5人という小所帯の審査課だが、中谷の「こういうときは社会に合わせましょう」と、「8割削減」で社員1人だけが出社するローテーションを組んだ。社員4人が輪番、アシスタントの千葉は週1回、金曜日の午前中のみ出社する形である。それでも現場の営業活動が訪問活動を制限し、在宅勤務を取り入れていることもあり、審査課に持ち込まれるイレギュラー案件も減っているため、何とか支障なく仕事が回っている。与信限度更新のための定期審査はあるが、在宅勤務でもリモートでシステムを扱い、処理は概ね滞りなく進んでいる。中谷が進めてきたペーパレス化が思わぬ形で効を奏したのだ。
この日は水田が出社していたが、昼過ぎに資料を取りに来た青山が職場に姿を現した。
「水田さん、お疲れ様です」と声をかけながら青山は自席に座り、資料を探しながら出社した理由を水田に説明した。水田はいつものようにせんべいをかじりながら、ゆったりと書類に目を通している。
目的の資料を確認して鞄に入れた青山は、水田の様子を見て声をかけた。
「それにしても、いつまでこんな感じになるんでしょうね。なかなか先が見通せないですね」
「そうよな。今までもいろんなことがあったが、こんなのはわしも初めてじゃ。わからんのう」
「審査一筋40年の水田さんも経験のないことですか。これだけ経済活動に影響があると、大半の会社が業績に影響しそうですよね。僕も営業部時代のお客さんが心配です」
「こういうときは、ほんとに日頃の会社の備えが大事になるわな」
「会社の備えというのは、BCP計画とかそういったことですか」
「BCG?いや、もっと基本的な、内部留保のことじゃ」
「自己資本比率ですか。企業の安全性の指標ですね。有事の蓄えがあるかってことですね」
「そうそう。こういうときのために企業は蓄えをするもんじゃ。もちろん、青山君ももうわかっておるじゃろうが、自己資本比率が高くても現金がない会社はある。しかし、自己資本比率が低い会社は内部留保が薄いか、借り入れが多いかのどちらかじゃ。売上が減って、一番困るのは、家賃とか給料といった固定費と借入返済のキャッシュアウトじゃからのう」
「そうですね。何もないときだと自己資本比率があまりピンと来ないケースもありますが、こうなってくると確かに、会社がどれだけ持ちこたえられる体力があるか、というひとつの指標になりそうですね・・・」
この先の審査業務を思い描いた青山は、ため息をついた。
「確かに観光業や飲食業ほどのダメージはないかもしれんが、じわじわと影響は広がりそうじゃ。工事の中断はもちろんじゃが、経済状態が悪化して新築やリフォームを見送る人も出てくるじゃろうし」
「そうですよね。そうすると、赤字決算ばかりになって・・・そういう会社を審査で切り捨てると、お客さんにも申し訳ないですし、当社の売上もますます減りますよ!」
青山は、今になって事の大きさを認識したかのように、少し興奮気味である。
「まあまあ、青山君。だから、中谷課長がいつも言っている目利きがとても重要になってくるんじゃ。青山君ならどういう目利きをするかな?」
「目利き・・・そうですね、今は誰にとってもマイナスの環境ですけど、環境さえ回復すれば成長できそうな会社を目利きするって感じですかね。でも、環境が好転すればどの会社も普通に戻るのかな・・・」
「そうとも限らん。もともと蓄えが少なかったり、問題を抱えたりしている会社は、立ち直る力を持てずにそのまま市場から退場してしまうこともあるじゃろう。まあそのあたりは目利きというより、しばらく状況を見なければわからないこともあるじゃろうがの」
「そうですね。なかなか難しそうですね・・・」
「あとは、この苦境に経営者がどう向き合おうとしているかを、実際に見て判断することも必要じゃ。どの会社にとっても苦境じゃが、受け身で国や自治体の支援を待つばかりだったり、支援が少ないと嘆いてばかりいる経営者は、やはり心配じゃ。状況を打開する経営者は、自分ができることを考えて実行するものじゃ」
「そういう会社は確かに応援したくなりますね。続いてほしい会社、ということですね」
「厳しいことを言うようじゃが、苦境というのは人を試すものじゃからの。試されていると思って前向きに立ち向かえるか、他力本願で苦境が去るのを待つだけかで、だいぶ変わってくる。その下で働く従業員のためにも、経営者には頑張ってほしいものじゃ」
「そういう会社に対しては与信を通す、以外の応援ができませんかね」
「そこはわしだけの力じゃなんともできないが、卸値を調整したり、支払い期限を融通したりといったことは、現場でもある程度できそうじゃな。信用できる相手にしかできないことじゃが・・・」
「水田さん、ポジティブですね!僕もそういう会社を支えたいと、前向きな気持ちになってきましたよ」
「まあ、今回のことは今生きている人が誰も経験したことがないような禍じゃから、気持ちがあってもどうにも事態を打開できないことも多いじゃろう。ただ、何とか打開しようという気持ちがなかったら、何も始まらん。わしもいい歳じゃが、まだまだポジティブじゃ!」
「わかりますよ。最初から言おうかどうしようか迷っていましたが、その赤い布マスク、かなり前衛的です!」
「わっはっは、これは娘が作ってくれたんで、つけんわけにはいかんのじゃよ・・・」
照れ笑いする水田に挨拶をして、青山は少し明るい気持ちになって、帰途についたのだった。