平均値とセットで確認しよう、標準偏差
2020.12.23
寒さが本格化してきた冬のある日、営業部の谷田は外回り営業を終えて事務所に戻ってきた。自席で書類仕事を終えた後、聞きたいことがあって経理課のフロアに木下を訪ねたが、在宅勤務で不在らしい。コロナ禍の職場の「あるある」で、谷田も普段は訪ねる前に電話で確認するのだが、このときは気持ちがはやったのか、先に動いてしまった。「うーん、困ったなあ」とあたりを見渡した谷田の目に、審査課の青山の姿が入った。(ああ、青山さんがいるじゃないか!)谷田が職場で青山を訪ねるのは初めてだが、もともと青山が営業部出身であり、これまでも社内の研修や個別案件の確認で何度も会話をしている間柄である。
「青山さん、お疲れ様です!」
「あれ、谷田じゃないか。こんなところで、珍しい。何かややこしいことが起きたのか?」
「いえいえ、そうじゃないんですが、青山さんにちょっと教えてほしいことがありまして。今、大丈夫ですか?」
「ちょうど今日イチの案件の処理が終わってひと息ついているところだよ。どんなこと?」
「業種別の平均値を確認していたら標準偏差というのが併記されていたんですが、これは何でしたっけ?」
「ああ、さては木下さんに聞きに来たら在宅でいないから、青山にでも聞いてみるかって感じだな?」
「さすが青山さん!企業審査人の洞察力ですね!・・・いやいや、そうじゃなくて・・・、まあ、そういうことではあるんですが、そんなこと言わずに、教えてください!」
「分析指標ごとに標準偏差も大きく値が違うようですが、これはなぜですかね?」
「分析指標単位でそれぞれ分布が違うことを示しているんだ。元のデータが多ければ分布も広がりやすくなる。ちなみに、平均値を中心に左右対称にゆるやかに広がる正規分布の場合、データの約7割が平均値のプラス・マイナス標準偏差値の中におさまるようになっているんだよ」
「・・・ということは、平均値が10で標準偏差が5の場合、5から15の中に約7割が該当するわけですか」
青山の話を反芻した谷田は、手帳を広げて絵を描いた。それをきれいに整理したものが次の図1である。
「正解!そのイメージで合っているよ。マイナーな業種はサンプル数が少なくて、かなりばらけていることも多いらしい。そういう業種では、サンプルが多い中分類や大分類の平均を参考にするのも一案かもね」
「なるほど。少数の非常に優秀な企業の値が平均値を上げてしまっているようなケースもありますよね!そういえば、以前、木下さんと一緒に登山をしたときに聞いたことがあるような気がします」
「え?谷田君も木下さんから登山に誘われたの?」
(あれ?そういえば木下さんと青山さんは仲がいいと聞いていたけど・・・余計なことを言っちゃったか?)
一瞬、青山が浮気相手を見るような目をしたように見えて、谷田はたじろいだ。
「え・・・ええ、一度だけご一緒させてもらいましたけど、一度だけですよ」
「木下さんの登山はスパルタだから、大変だったんじゃないか?ハハハ!」
谷田はひとりで首を振って不要な思考回路を振り払い、質問を続けた。
「標準偏差の基本的なイメージはわかりましたが、あまり気にする必要はなさそうですね」
「ざっくり見るならいらないかもしれないけど、例えば調べている会社の有利子負債月商倍率が3カ月、業界平均が3.5カ月だったら、谷田君ならどういう印象を持つ持つかな?」
「やはり、平均より低いから、問題ないだろうって思っちゃいますね」
「ただ、その標準偏差が大きかった場合はどうだろうか?」
「開きが大きいことを意味するから・・・なるほど。平均以下だからと安心しちゃいけないわけですね!」
「そうだね。サンプルが正規分布になっていなかったり、借入が全くないサンプルが多かったり、さらに、極端に借入が重いサンプルが含まれているようなケースでは、平均値を上回る大きな標準偏差が算出される。まあ、標準偏差の値が大きいときはばらつきが大きい、くらいに覚えておけばいいんじゃないかな」
「以前、木下さんが登山・・・いや、レクチャーで話してくれた業界内ランクの話を思い出しました」
「業界内ランク、よく知っているね。そうそう、全てのサンプルを順番に並べたときに中央値がランクの真ん中に来る指標だけど、その中央値と平均値が乖離する場合が多々あるからね。でも営業の谷田君はそこまで細かく見なくても、そのあたりは僕らが見極めるから大丈夫だよ。谷田君のような現場の人には、お客さんの現場の様子を観察するという、もっと大事な仕事があるからね」
「ありがとうございます!そのあたりは青山さんにお任せして、しっかり現地観察をします」
「そういえば、谷田君の実家はかまぼこを作っているんだよね。なかなか厳しいんじゃないの?」
「倒産した同業者もありました。旅館向けや土産用がなくなってしまいましたからね。ただ、おせち料理向けのお取り寄せ需要に助けられそうです」
「それはよかった。うちはもう頼んじゃったけど、来年のおせちは谷田君のところに注文しようかな?」
「来年と言わず今すぐご注文ください。豪華に行きましょうよ、青山さん!うちのかまぼこは正規分布のように美しく、そしておいしいんですよ」
「なんだ、正規分布じゃない珍しい形のかまぼごがあるなら注文しようと思ったのに」
普段は木下に突っ込まれがちだが、後輩の前では「一枚上」の青山なのであった。