本質を理解し、向き合い方を知らずしてデータ活用には至らない 第2回
2021.11.22
前回、いくつかキーセンテンスをお伝えしました。
「データを答え合わせの道具として使うのではなく、考えるための道具として使う」
「データを用いて様々な観点で比較し、特徴を洗い出す」
「目的・意思なき文脈には、データという数字がただ示されるのみで情報として昇華させることが難しく、意味を見出しづらい」
「データと意思・目的の両輪が重要」
考える順序の正しい出発点は、「Customer Jobs(顧客の仕事)」を定義することです。この際、漠然と仕事を定義せず、図3のようなカスタマージャーニーとして行動変遷を描きながら仕事を広く定義することをお勧めします。例えば「分析」という仕事一つ取ってもその前後には、情報収集・整備という仕事があったり、分析結果をアクションにつなげたりと考えている場合、分析で必要とされる示唆レベルも異なってきますし、分析単位や方法もそれによって異なってきます。
内容は「条件に合致する企業データを購入する」ということになりますが、本当にそれが顧客の目標と言ってよいでしょうか。少なくとも顧客は手にしたデータをもって次のアクションがあり、本来の仕事は営業生産性をいかに向上させるかがポイントで、その行きつく先に到達したいがために「該当データを購入したい」という話かもしれません。
顧客の一行動だけに視点が偏ってしまうと、データを購入するということで顧客の仕事が終わるように感じてしまいますがそれはCustomer Jobsではありません。こうしたことが起きる背景には、図4で示すような目標の階層性というものがあるからです。
Customer Jobsが設定できると次は、各Jobでどのような課題感を持っているかを整理します。これによってデータでどこまで目的達成に寄与できるのか、また寄与するためにはどのような取り組みが必要なのかが描きやすくなります。整理するなかでCustomer Jobsに対して解決したい課題が強いのか、新しく得たい発見や視点を求めているのか、その方向性も明確化できます。Gainsとは、「普段見ていないマクロ環境の変化を知りたい」「他社との違いや優位性を知りたい」などCustomer Jobsに取り組むにあたり、新たに得たいことです。
反対にPainsは、Customer Jobsに取り組む中で、避けて通れないタスクがある一方で、何とか解消できないかと考えていることです。例えば、マーケティング部門の人であれば、「データ分析ののち、施策を検討することに時間を使いたいが、情報収集やデータ前処理に時間がかかってしまうため、この手間を回避できないか」や「情報収集するも、施策検討や関係者に提案すると別の視点でやり直しを迫られることがあり、また作業を一からやり直しになることが何度もあるが、もっと効率的にならないものか」といったことがあげられます。実際、施策検討までのアクションで全体の三分の二の時間を要してしまっていると課題を持たれている人もいます。ここまでがデータに触れる前に取り組んでおきたいことです。
ここまでの整理をもとに、扱うデータの特徴を整理したり、その特徴やデータの内容からGainsまたはPainsに対してどのような解決の糸口があるかを模索したりします。その模索した実現可能な策がGain CreatorsやPain Relieversとして列挙する形になり、それらを実現する手段としてServicesに企業データの提供やデータ分析といったアクションを書き込みます。重要なのは、この一連のプロセスの中で、「データ優位で物事を整理せず、Customer Jobsを中心に考えていること」、「ServicesがCustomer Jobsのどのような課題に対して、どのような貢献ができるのか、その一連の関係性を整理していること」が押さえられているかです。この取り組みは初め面倒に感じてしまうかもしれませんが、冒頭述べたように、目的・意思なき文脈ではいくらデータを集めても、データ分析で知見を導出しても意味の導出は難しくなります。目的を置き去りにせず、データとうまく向き合い、活用するために必要なフレームワーク、取り組みと考えるとよいでしょう。
この取り組みをするメリットはほかにもあります。価値認知というのはヒトがするものですが、その価値定義は様々です。モノの価値やヒトの価値で感じるところとデータの価値はそこまで変わりがありません。例えば、3万円もするキーボードや、ヘッドホンがありますが、それだけの価値があるという人もいれば、そんなものいるの?そんな価値あるの?みたいに言う人もおり、同じモノでも価値定義が異なります。モノの場合は性能や見た目など明確に見えやすい判断軸を設けやすいですが、データはそうはいきません。同じデータであっても目的設定を誤ったり、活用場面が異なれば、使えるデータという評価を得る場合もあれば、使えないデータであるといわれたりすることもあり、評価が分かれてきます。評価がわかれる理由はいろいろありますが、多くはCustomer JobsとServicesの関係性が整理できていないところが大きいです。そのため、Customer Jobs等の設定プロセスを通すことで、データ価値定義のズレを回避することもできることに加え、プロセスと定義が可視化されていくので、それらを共通言語として関係者間で価値認識を共通化させていくと、データを有効に活用できるようになってくると思います。
データはシェアできるからこそメリット享受しやすい
民間企業がデータを収集している場合は、ビジネスと合わせてマネタイズの取り組みがあり、データ収集の労力の対価として有料とすることで成立させています。ただし、集められたデータは有料でも活用するユーザーがいるからこそ、そのサイクルが回るのであって、有料であればサイクルが回るわけではありません。そのため、各社いかにデータを活用してもらうかということに注力していますし、データ市場もより発展することによって、より高精度のデータが期待できるようになります。ゆえに需要側としては比較的安価にデータ収集・活用したい一方で、供給側のデータ精度を高めるためには相応のマネタイズが成立する必要があり、これらの需給バランスがとても重要になります。
例えば、地方自治体が地域活性化のために政策を検討する際、限定されたリソースの最適配分が求められ選択と集中が必要です。そのためすべての産業へ支援事業を実行することは難しく、地域特性のある産業を伸ばしていく必要がありますが、自地域のことは理解しているつもりでも地域特性となると他地域と比べてどうなのかという視点が必要になってくるわけです。そこで日本全体での産業構造やその変化を知ったり、地域ブロック、都道府県単位でどのような産業が伸びているのか、強みがあるのかを知ったりしたうえで、自地域の状況と比較するわけです。自地域をよく理解しているのは日頃、地域を回って多くの人の声や取り組みを見聞きしているから理解が進んでいるわけですが、全体俯瞰のために同様の方法で全国津々浦々回ることは非現実的であり、また時間の要することであります。そのため、全体俯瞰して自身と比べて地域特化して集中支援すべき産業はどこかを追究するために、足でかせぐのではなく、データで視点を補っていきます。これをValue Propositionに当てはめて考えると、図8のように整理できます。
企業経営でも同様のことが言えます。経営分析においては、図9のような経営のVision、Missionや製品・サービスの競争優位性、実行能力などの内部環境分析と、自社が置かれる業界環境や顧客が置かれる市場環境、顧客や自社に影響を与えうる法改正、それに伴う機会や脅威などを見る外部環境分析があります。このうち、市場・業界環境の状況や時系列の変遷などを定量的につかむという面でデータが役立ちます。特に、法改正やEV化、AIなどの時代の潮流などはニュースや記事などでマクロ情報として流れてきます。これは個社の動向を調べたものではなく、経済全体の枠組みの決め事、兆候として、ニュース等で流れ、情報として我々は認知します。しかし、それら潮流を受けて各社がどのような影響を受けているのか、そうしたニュースがない中でも自社と関係する市場・業界の景況はどうなっているのかは、個社の動向をまとめていく必要があります。この際、定性的な部分は千差万別あるでしょうが、各社の行動結果が反映される定量的な部分ではその変化による影響が結果として現れ、個社状況をまとめて全体傾向をうかがい知ることができます。
データがもつ3つの強み
一つは、「非連続な思考」ができるようにすることです。勘や経験というものからの思考は自分が見聞きした範囲でしか物事の判断をすることができません。それは現在地にある課題へのカイゼンをする場合には、有意義に働きます。一方、新しい問題提起やそもそも自分が見聞きしていない範囲の新しい発想や課題創出を必要とする場合では、自分以外の新しいなにかが必要となります。そこにデータは寄与してくれます。データドリブンの取り組みはまさにこの話です。先に述べてきた全体俯瞰という話もこの部類に入るのではないかと思います。自分が見ている連続的な情報からはどんなに頑張っても全体までたどり着くことは難しいです。
もう一つは、「共通言語」です。一個人の勘や経験はあくまでその人が見聞きしてきた情報をもとに形成された知であります。その知を形成するためには多くのバックグラウンドが影響していると思います。この勘や経験に基づいて議論するというのはとても難しいことです。なぜなら、一個人の勘や経験は他者にとっての当たり前ではなく、議論の前提に置きづらいものだからです。それゆえに「私の経験ではこう思う」「私は別でこう思う」と結局のところ、議論がかみ合うことが難しいことがおきます。そのような場面、とはいえ皆さん大人ですし、良くも悪くも物分かりがよく、かつ何かしら限られた時間内で収束しないといけないということがあれば、議論の決め方はどの人の勘や経験をよりどころにするか、つまり誰の勘や経験を大事にするかという意思決定の仕方になるでしょう。
そうした議論や意思決定の限界に対して、データは共通言語として、議論の羅針盤としてのよりどころになりえます。勘や経験だけだったら、根拠のない決めの世界でよりどころを決めなくてはいけないので、納得感のある、声の大きい人、有名な人、過去の実績からあたりが良さそうな人という本質とは異なるところで決めてしまいがちです。これが問題になるのは論点がずれてしまうことだけでなく、意思決定の根拠が曖昧となり、その曖昧な部分を誰かに委ねることで責任の所在も不明瞭となり、議論が次第に他人事になってしまうことにあります。
データを活用する場合はデータで選ばれるというよりはデータが中立的な立場としてその場に判断基準を設けることで、ヒトの意思決定の方法に変化をもたらします。ただし、決して勘や経験を否定すべきということではありません。データにも限界があるように、勘や経験にも限界があり、それらの限界領域は異なるため、お互い相互補完関係にあるといえます。そのため、どちらか一方に偏るのではなく、どちらもその得意領域を活用することによってメリットを享受しやすくなります。
よくあるデータVS経験といったバーサス構造の議論に意味はありません。
最後に「共有知」のしやすさです。知的資産経営には「人的資産」「構造資産」「関係資産」の3つに分けて、財務諸表には表れてこない目に見えにくい経営資源を分類します。このうち人的資産とは、従業員が退職する際に持ち出される資産で、人に帰属するノウハウや経験はその例です。構造資産は従業員が退職しても組織に残る資産で、データベースや仕組みなどが挙げられます。勘や経験というのはこの人的資産に当たり、人に帰属するがゆえに暗黙知になりやすく、共有しづらさがあります。一方で自然法則や、ヒトの行動などデータとなりえる事象を情報として、またはデータとして存在させることによって、人的資産になりそうな部分も構造資産として組織に残し、組織内に共有することができます。データは、個人が得た情報をデータという形となって存在することによって、ヒトが直接見聞きせずとも、知を共有することで代理体験的に得られる情報になるわけです。別の言い方をするならば、勘や経験は第三者参照が難しい情報、データは第三者参照ができる情報として位置付けることができると思います。伝播性の高さは諸刃の剣的なところはありますが、データの強みであることは確かです。
執筆:企総部企画課 六信 孝則
<バックナンバー>
第1回 なぜデータが今そこまで注目されるのか
第2回 目的なき文脈を避けるための目的の特定方法(本コラム)
第3回 データ社会の今後期待される2つのこと
第4回 本質を理解し、向き合い方を知らずしてデータ活用には至らない